ナンパコッタ

例えばそんなナンパ

破壊とオナニー

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ナンパという行為をしてると大量の女に嫌われる、むしろ嫌われないないならアナタが超絶イケメンか、相手に踏み込んでないだけである。連れ出して「そんな人だとは思わなかった」と嫌われる、ホテル前で「いやまじ無理」と嫌われる、ギラついて「そういうの嫌なんだけど」と嫌われる。声掛けた瞬間に「ほんとやめて」と嫌われる。キセクにいつの間にか嫌われてた。俺が嫌われすぎなだけかもしれない。だんだん感覚的に麻痺してきて嫌われる事を厭わなくなる。意図的に嫌われることすらする。嫌われる勇気という本をいつだったか読んだが、理屈ベースで嫌われてもいいやと思うことはできても現実問題、コミュニティの中で嫌われるのは大きなリスクを孕んでいる。学校や会社、ご近所さんに嫌われてもいいやとは普通の感覚ではもてない。ただナンパというゼロベースの関係で嫌われても実生活には影響はない。もちろん精神的なダメージはある、ただナンパを通して如何に自分が嫌われたくなかったのかを実感する、事なかれ主義や空気を読むことが悪いとは言わない、社会にはそういった歯車も必要だし大多数の人はそう生きてる。

 

常人から抜け出す一歩

ナンパでの声掛けはまともな思考の常識や常軌を破壊しながら声を掛けていく、嫌われたくない、冷笑されたくないなど、そういった俗世からの魂の解放であるし、これほど自分をさらけ出す硬派な行為は他にはないと俺は信じている(ビール飲みながら新幹線に乗って酔ってきた)テクニック的な面に言及すると、相手を迎合するような”嫌われないための”トークテクニックは異性として強く見られてないと空気のような扱いをされてどこにもいけない。相手から食いつきがないと思ったら嫌われないようなトークお茶を濁すより自分を強く打ち出して激しく嫌われてしまえ。

場の破壊
にっちもさっちもいかなくなる状態はナンパをしていると頻繁に訪れる時がある。「なにしてもしても心理的距離が縮まらない、セックスまで辿り着かない、どうせ次会う事ないわ」と。そんな時は逆にその状態を利用して破壊に取り掛かるのが一つの流儀である。

・例(極端)
 Q1.無難トークをしすぎて進展がなくなる場合

 A.「君を今からどうやってホテルに運ぶか考えてる。63手は思いついた」

 

Q2.話してて食いつきが一ミリも感じられない

 A.「SMが好きで、女に首輪つけて浣腸しながらラブホの廊下を歩くのが好きなんだ」 

 

Q3.なんか女と喋るのが面倒になってきた。セックスするのだるい。

 A.「いまこの(画像)の子がきになっててさ、どうしようか作戦会議したい、お前真剣にきけ」

 

大体その場が破壊されて残骸すら残らないが自爆的オナニーの余韻に浸れる。0.1%くらい奇跡の再生が起きるが問題はそこじゃない。自分がその場を破壊していく快感。いままで事なかれ主義を貫いて生きてきたツケを貯めてきた人ほど、ナンパというステージに立つと本音をぶつける難しさに直面する、自分勝手に場を荒らして話していいのか<精神的な不快感>こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか<抑止力>女の子には優しくしろ<世間体や常識>様々の抑圧を突破することになる。だがそこにナンパの成功のヒントや人生の教訓めいたものがあると思う。そして自分の手で作り上げた場を壊すという快感を感じて欲しい。